韓国在住の通教生のスクーリング感想2009/07/13 21:54

6月28日の通信教育部プレ・スクおよびスクーリングに、わざわざ韓国から出席された女性の方に、その日の感想を寄せてもらいました。以下に、紹介します。(小原)
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外から帰ってきて、郵便ポストから少しはみ出した茶封筒が入っているのを見るとうれしくなる。
最近は電子メールで連絡を取り合うことが多いので、我が家に届く茶封筒はマチガイなく文校から来るもの。定期的に届く文校ニュースや樹林、提出作品の添削や質問の回答など文校の封筒もずいぶん溜まった。そういうのを見るだけでも私の場合、「ああ文校で勉強しているんだ。」と文校で勉強している自分にうっとり?浸ってしまう。日常生活は文学学校とは遠いところにあるので、文校ニュースで同じように書きたいひとがいる存在を再確認し、入学を決めたときの気持ちを思い出すと、自分の進む道が照らされているような気分になって安心する。
そんなわけで自己陶酔しながら通信教育でもかなり楽しく勉強している。でも自己満足では終わらないのが小説の世界。他の人に読んでもらうことを前提としたものを書くなら、やっぱり合評は避けて通れないものだと思う。と、志高く合評を希望したものの、プレスクリーングで実際に自分の順番が近づいてくると、さすがに緊張してきた。自分の中で完結していた小説が他の人の目にどんな風に捉えられていたのかがいよいよ明らかになる、そう思うと同じテーブルに座っているひとがみんなが厳格な審査員のように見えてきて、頭の中は真っ白に。
 自分の順番がいよいよやって来た。あちこちから遠慮がちに意見が聞こえて来る。中には文章の横に線を引いて疑問点をメモして下さった方や、曖昧な内容について的確な意見を下さった方もいた。もちろんそれは作品の中に書いてあったのになぁ、と思うこともあった。でもひとつの作品を色んな角度から見るのは新鮮だった。何より自分でも満足できず、やや投げかけだった作品を合評を通して見えてきた色んな視点でもう一度向き合うことができたのはよかった。
 もちろん生徒の意見を受け止めて、解説してくださるチューターの存在なくては合評は難しい。プレスクリーングでもクラス別の合評でも書き手の意図を汲み取りながら、否定することなく、小説の深い世界を見せてくださった。小説はひとりでも書ける。むしろひとりでないと書けないもの。でも自己完結で終わらないために、チューターがいて、書くことを志す同士がいる。普段は顔を合わす機会はないけれど、こうやって年に数回会えることを楽しみにしながら、書くことを続けていくパワーをもらったようなスクリーングだった。