夜・文章講座、第3回課題の例文。2011/08/17 17:43

夜・文章講座
ストーリーテリングを考えるⅢ―物語の話型論
講師 葉山郁生(作家)

第3回 8月22日(月)午後6時30分~

●旅または異界彷徨の話
●教材=古井由吉『聖』(教材のコピーを文校事務局に用意していますので、クラスゼミの時などに手に入れて下さい。送付を希望の人は郵便代をご負担下さい)

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●課題=2回目の「玉(宝)探し」の話を取りこんだエッセイ・小説の一節

 第三回目の課題は「玉(宝)探し」の話(前回、代表的な物語の話型を概説しましたが、これもその一つ)を取りこんだエッセイ・小説の一節です。前回の講義で言えば、『源氏物語』「玉鬘の巻」がそうです。夕顔の娘・玉鬘は、筑紫で育っていたが、長谷寺詣を機に源氏と再会し、源氏も含め都の男たちの憧れの対象となります。異性の玉を求めることで、男性の魂もみがかれる(男女逆もそう)という、物語のよくあるパターンです(「竹取物語」「白鳥の湖」等々)。
 二回目の講義では「明石の巻」も取り上げました。源氏が身を引いた須磨の地は当時、畿内の地の果て。そこで嵐にあい、源氏は海神である住吉の神に導かれて、舟で海上他界に出、明石の地にたどり着き、明石の君(話型としては海神・龍神の娘)に出会います。この出会いもまた、一種の玉探しで、明石の君の財力とある種の啓示により、源氏は都に生還(個人のライフサイクル上、一種の再生の相でもあります)します。トポス(場所)の問題として、須磨と明石の間が境界、嵐の海が異界(海上他界)となります。
 第三回目の課題は案内のとおりですが、前回の講義で、異界・他界も強調しましたので、こちらも可とし、後者の例文として、現代小説の一例、南木佳士『草すべり』中の「バカ尾根」の一部(山中他界の例)を掲載します。


 もうすぐ五十歳になろうとしていた夏の終わり、早めに始まる紅葉を見物しようと、標高二一〇〇メートルの大河原峠に出かけた。ここまでは家から車で三十分だ。
 峠の駐車場から見おろすと、佐久平に向かって深い渓谷沿いに紅葉が降りてゆきつつあった。期待していたとおりの美景で、久しぶりに大きな呼吸ができた。そのとき、渓谷から吹き上げていた風がにわかに強くなり、それを体感したくて右手を挙げてみたら、力の抜けたからだは風力によって腕の側からゆるやかにうしろに回された。
 紅葉見物を終えたらさっさと家に帰るつもりだったが、風に回転させられた視野に、これから山に登ってゆく中年女性のグループがとらえられた。きちんとした登山用の服装で、足元には色とりどりのスパッツを付けており、その使い古された色合いがいかにも山に慣れているといった感じを醸し出していた。
 俗世に還る者、結界に入る者。
 彼女たちはすでに登山道を登り始めており、こちらより高い位置にいたのだが、なにげなく下に向けられたその表情はしばし俗世との縁を切るのがうれしくてたまらないといったふうで、かつ、ちらっとこの身に向けられた視線は無邪気な哀れみの色を帯びていた。
 …………
 あらためてガスバーナーに点火し、陶器の湯をチタンの鍋にもどして沸かしなおし、今度はすこし多めの湯を入れて燗をつけた。はじめのものよりぬくめの燗酒を口に含むと、ふいに酔いがまわってきた。ここは墓地の上で、霊の集まり処(どころ)だから、上医もその部下だった医者も、みなこのあたりにいる。
 研修医のときから直接指導を受けた先輩は他の病院の院長を務めているときに妻に先立たれ、数年後に循環器疾患で急逝した。ぶっきらぼうで患者からの評判は良くなかったが、組織運営の手腕に優れ、若い医師たちからの信頼は厚かった。無理も聞いてくれた。世話になったこの人の葬儀に体調不良で出席できなかった罪滅ぼしとして、毎年、命日が近くなると墓参を欠かさずに来た。セミしぐれの降るなかで彼の墓の前にたたずむとき、背負ってもらった重荷を具体的に思い出し、生き延びるということはだれかの屍の上にしか成立しない事柄なのではないかと痛切に自覚する。

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●教材作品は読んでおいてください。
●課題作(原稿用紙2枚《ワープロの場合、A4用紙をヨコにしてタテ書き印字》)を、講座日の3日前までに、担当講師宅へ郵送のこと。提出作品はコピーして、皆で読みあいます。(一般の方などで講師宅の住所がわからない場合は、事務局まで問い合わせてください)

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