夜・文章講座、第2回の例文。2012/01/11 21:48

夜・文章講座
小説の基礎篇Ⅰ―視点・人称・語り
講師 葉山郁生(作家)

第2回 1月23日(月)午後6時30分~

●人称の問題(一人称と三人称、時に二人称、また並用型)
●教材=フォークナー「響きと怒り」(1910年6月2日の章のみ、各種文学全集)

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●課題=1回目の「エッセイ作品」を「三人称小説」に転換(他者を1人以上登場させ、主人公とは別のエピソード・小話で会話させてみる)

 今回、人称の問題を取りあげています。1回目が一人称で、それを転換して三人称小説にします。描写が増えて、枚数が多めになってもいいです。
 会話を入れることで、主人公側の事象・エピソードと他者のそれを重ねる展開です。ちがったテーマを投げかける例の方が複雑ですが、同一内容を違った視点・見方でかけあわせても結構です。
 一人称と三人称で書きわけた文章例を参考に掲げます。人称の違いで、視点(カメラアイ)がとらえる描写対象が変化しているのをご確認下さい。この文章例で、母のピアノについて主人公の娘と母に会話させたら、今回の課題に対応していることになります。


 不協和音(一人称)

 ゆったりとした曲線を描き、構えているグランドピアノのせいで、赤い花柄の二人掛けのソファーとガラスのテーブルと黒い本棚が、あいている空間に窮屈そうに並んでいる。家の北側に位置するこの部屋は、ピアノを置くために窓ガラスとガラス戸を二重にして作られた。ママが毎日弾くピアノの音が近所の迷惑にならないようにという配慮だそうだ。でも私は、ママが家でやっているピアノ教室の生徒である近所の子供たちの弾くピアノは近所迷惑だとしても、ママの演奏は少しも迷惑ではないと思う。
 この部屋には今、私一人しかいない。ママは今日は出掛けていて夕方までは帰って来ない。学生時代を共に過ごし、ママと同じように自宅でピアノを教えているという友人の一人に十年ぶりに会うのだと言って、普段より明るい色の口紅をして、出掛けるときにいつも着るワンピースを着て、にこやかに家を出て行った。日曜日の外の爽やかな風は二重ガラスで遮切られている。ガラス戸の外の庭ではつつじの葉が揺れ、一枚一枚の葉がこすれあい、耳を澄ませばその音までも聞こえてきそうだが、ガラス戸のこちら側では部屋の中の空気は少し重たいようにさえ感じられる。光の入らないこの部屋では昼間でも電気をつけている。天井から吊された茶色い傘から覗く電球は橙色に光っているが、その光は弱すぎて、とても太陽にはなりえない。
 私が今着ている水色のワンピースは、この前ママが作ってくれた。ダダダッというミシンの音を立てながら、ママは鼻歌なんて歌わずに、視線をそらすことなく、水色の布を縫っていた。そのワンピースがしわにならないように両手で押さえながら私はピアノの前に座った。黒い椅子はママの背の高さに合わせてあるので、足は金色が少しさびかかっているペダルに届かない。
「小学校に上がったら」
 とママは言う。
「小学校に上がったら、ピアノを教えてあげるわね」
 ママは毎日、ここに座ってピアノを弾く。昨日の夜はドビュッシーの「アラベスク」を弾いていた。私は花柄のソファーの上に寝そべって黒い本棚を眺めながらママの演奏を聞いていた。寝そべった角度からはママの体は見えない。鍵盤の上を踊るように流れているはずのママの十本の指も、楽譜と鍵盤を交互に見つめるはずのママの目も、少しも緩むことのないはずのママの口元も、曲に合わせて揺れ動いているはずのママの肩も見えない。視線の先の黒い本棚は三枚の板で横に区切られており、さまざまな楽譜が並べられている。そこに並んでいる楽譜のたいていは背表紙が破れていたり、完全に取れていて数十枚の紙をまとめている糸がむき出しになっているものもある。背表紙の色の赤や緑や黄色もくすんでいて、白かったはずのぺージは日に焼けて茶色くなっている。
 ママは、いつもそうなのだが、そこに私がいることを忘れているかのように、もしかすると娘を産み母親になったことも忘れているかのように、自分の演奏に酔いながらピアノを弾く。「アラベスク」は、小さな高い音色から始まり、だんだんといろいろな音が絡みあっていく曲だ。消えてしまいそうに穏やかで、ときに強く高まり、一つ一つの音が存在感を示しながらも混ざりあう。音が曲という水になって心の中へと流れてくる。いくら注意していても、その水は私の心に染み渡り、心を柔らかくしていく。たとえば心が、からからに干あがり、ひび割れている大地のようであったとしても、曲の水は少しずつ、でも確実に浸透していき、気づけば肥えた土になっている。私は生まれてからこれまでの六年間、ママのピアノを聞いて育ったけれど、きっと生まれる前、ママのおなかの中で、へその緒でつながっていた頃も聞いていたのだろう。
 私は鍵盤の蓋を開けた。どこかの外国のダンスパーティーの赤じゅうたんのようなえんじ色の、少し厚めの布をめくると、ずらりと規則正しく並んだ白と黒の鍵盤が現れた。ママはもう二十数年間、毎日ピアノを弾き続けているという。いつだったか私が
「宝物は何」
 と尋ねると、少し迷ってから
「やっぱりピアノかしら」
 と答えた。
「ピアノを弾いていると心が落ち着くのよ。弾きながら曲に感動して涙が出てくることもあるわ」
 長い鍵盤のいちばん端の音を聞こうと思った。両端の二本を使う曲はあるのだろうか。左腕を鍵盤よりも手前につき、体を支えながら右腕を伸ばして、いちばん右端の鍵盤を押した。高く、小さな、弱い音だった。同様にして、いちばん左端の鍵盤も押す。こちらは低く、大きく、心臓に直接響く音だった。それから体を元の姿勢に戻した。交互に手をついて体重をかけていたその場所は、熱で私の手の形が白くぼんやりと残り、端からじわじわと消えていったが、指紋はくっきりと残った。
 今度は右腕を前に出し、ドの鍵盤の上に親指を乗せた。ドの鍵盤が押されて低くなったことで隣のレの鍵盤の側面の木の部分が覗く。親指でドを、人差し指でレを。順番に一本ずつ弾いていき、小指がソを弾くと、また逆の順番で戻っていく。ドレミファソファミレド。私が弾くドレミも、ママが弾くドレミも、同じ音のはずだ。私の右手には五本の指があって、左手にも五本の指がある。だから私の指は十本で、ママの指も十本のはずだ。それなのに違う。私がピアノの前に座っても、鍵盤の上に両手を置いても、旋律は流れない。私の指は踊り方を知らない。ママの指も十本で、一本の指ではたったひとつの鍵盤しかなぞることができないはずだ。それなのにママの指が鍵盤の上を踊ると、導かれた音たちが真っ黒いピアノから流れ出し、宙で戯れる。ドレミファソファミレドをもう一度弾いてから、えんじ色の布を鍵盤の上にかけ、蓋を閉じ、立ち上がった。いつもママからピアノを触る前は手を洗うように言われていたが、今日も忘れていた。
 部屋の半分を占領しているこのピアノ上に、乗ってみようと思った。なぜそう思ったのかはわからない。ただ、思いついた瞬間には花柄のソファーの方へ歩き出していた。ピアノとガラスのテーブルとの狭い間を体の向きを変えながら通っても、テーブルの角が足に当たってしまった。それからソファーの上に立った。体の重みに耐えきれずにソファーが沈むのと同時に、胸がどきりと一瞬下に下がるのを感じた。ピアノの蓋の上に両手をついて、ぐっとピアノを押し、体を腕で支えて足を宙に浮かせる。心臓が激しい音をたてる。次に右足をピアノの上に乗せ、左足も持ち上げてよじ登った。ワンピースの裾がめくれ上がったが気にはならなかった。
 よじ登ったピアノの上は広々としている。まだあと二、三人は乗れそうなほど広い。ピアノはびくともせず、ずっしりと、しっかりと体を支えている。私は体を倒し仰向けに寝転んだ。天井の小さな凹凸がはっきりと見える。寝転んだまま体を左側に向けた。頬にひんやりとした感触が伝わる。真っ黒で艶々のピアノに私の頬が映っている。この蓋の下には何十本もの弦が張られているはずだ。去年の冬のピアノの発表会の少し前、ママが蓋を開けて練習していた。ママの指が鍵盤を押すと、弦に木の棒のようなものが当たっていた。そういった仕組みで音が鳴るのだとそのとき初めて知った。
 けれど、わからない。この真っ黒いもののどこから、心の奥へと染み渡る曲は流れるのだろう。寝そべって耳を当ててみたところで、頬と腕と足にひんやりとした冷たさが伝わってくるだけだ。しかしそれは、ママの宝物にべたべたと指紋をつけて、おまけに上に乗っている私の、緊張した体には気持ちのいい冷たさだった。激しく高鳴る心臓と熱くなった全身を下からピアノが冷やしていく。私は両手を並べて目の高さに持っていき、自分の指を数えてみた。やはり十本しかなかった。たった十本の指でピアノを弾くということはまだ信じられない。
 この部屋はピアノを中心にして作られた。部屋にどっしりと構えている艶々のグランドピアノ、窮屈そうに並ぶ花柄のソファー、ガラスのテーブル、黒い本棚の中のぼろぼろになった楽譜、鍵盤の上の赤いじゅうたん、そういったもののすべてが、私の心を酔わせる。「小学校に上がったらピアノを教えてあげる」というママの言葉が蘇る。けれど、私がピアノを習うことはないだろう。私にはピアノを弾くということは必要なことではないのだ。ママの指は鍵盤の上を踊ることができるけれど、私の体はこうしてピアノに乗ることができる。
 近くなった橙色の丸い電球を見つめながらぼんやりと、これから私が過ごすであろう十五年ほどの歳月を思い浮かべた。十五年経てば私は二十一歳になる。その十五年の間に、私と母親との間に何が起こり、私はどこに向かっていくのだろう。ふと、昨夜のドビュッシーの「アラベスク」を思い出す。音は時に強く、時に弱く、高く、低く、一つ一つの音が存在感を示しながらも、確認できないほどに、まるで唐草模様のように絡みあいながら流れていた。


 不協和音(三人称)

 住宅街に建つ一軒の家がある。白い壁と瓦の屋根で造られた二階建の家だ。玄関の脇には小さな庭があり、つつじが咲きほこる。門扉には「ピアノ教えます」という看板が下がっている。
 ピアノは庭に面した部屋に置かれている。ゆったりとした曲線を描き、部屋の半分をも占領するグランドピアノだ。残された空間に花柄のソファーとガラスのテーブル、楽譜を収めている黒い本棚が並んでいる。ピアノの音が近所の迷惑にならないように、と部屋の窓ガラスは二重にして造られた。
 この家には、まだ若い夫婦が住んでいる。ピアノ教室を開いているのは妻の方だ。妻は幼少の頃からピアノを習っており、大学でもピアノの演奏を学んでいた。部屋のグランドピアノは、学生時代から愛用しているものだった。夫婦には一人娘がいる。名前を里花といって、来年、小学生になる娘だ。
 さて、家には今、その娘一人だけがいる。両親はそれぞれ出掛けており、夕方まで帰ってこない。里花はピアノが置いてある部屋にいた。二重ガラスで遮切られた外で、風がつつじの葉を振わせているのが見える。北側に位置するこの部屋には光は入らず、昼間でも電気がつけられている。天井の茶色い傘から覗く電球が、弱い光で少女とピアノを照らす。
 里花は水色のワンピースを着ている。母親の手作りだ。母親は決して器用なほうではないのだが、娘に洋服や手提げ袋などを作ってやることに喜びを感じていた。その水色のワンピースがしわにならないように両手で押さえながら、里花はピアノの前に座った。しかし椅子は母親の背の高さに合わせてあるため、彼女の足は金色が少しさびかかったペダルには届かず、宙でぶらぶらさせていた。
「小学校に上がったら」
 母親は里花に微笑んで言う。
「小学校に上がったら、ピアノを教えてあげるわね」
 これには母親なりの考えがあるのだが、幼い頃から両親にピアノを習わされていた彼女には、ピアノが嫌で嫌で仕方のない時期があった。もちろん、そのピアノに救われたり、何十年も付き合っていくのもまた彼女自身なのだが。彼女は自分の子どもをピアノで縛りたくはないと思っていた。そして小学校に上がったら多くの子どもたちがするであろう、いくつかの習いごとの一つとして娘にピアノを教えようと思っているのだった。
 母親は、今でも毎日ピアノを弾く。昨夜はドビュッシーの「アラベスク」を弾いていた。里花はその演奏をソファーの上に寝そべって聞いていた。寝そべった角度からは母親の体は見えず、彼女は黒い本棚を眺めていた。見えずとも里花は知っていた。母の十本の指が鍵盤の上を踊るように流れていることを、母の目が鍵盤と楽譜を交互に見つめていることを、母の口元が少しも緩んではいないことを、母の肩が曲にあわせて揺れ動いていることを、彼女は知っていた。
 しかしそのときの里花の視線の先にあるのはただ、本棚に並ぶ数十冊の楽譜であった。そこに並ぶさまざまな楽譜は長い年月を彼女の母親と過ごしており、たいていは数年間使ううちに背表紙が破れていたり、完全に取れていて数十枚の紙をまとめている糸がむき出しになっているものもある。背表紙の、かつて赤や緑や黄色であった色も今ではくすみ、白かったはずのぺージは日に焼けて茶色くなっていた。
 ピアノを弾く母を目の前にして、里花は時に不安になることがある。そこに自分がいることを、いや、娘を産み母親になったことさえも、目の前にいる女の人が忘れているかのように思えるのだ。自分の演奏に酔う母親を見つめ、彼女は立ちつくす。
「アラベスク」は、小さな高い音色から始まり、だんだんといろいろな音が絡みあっていく曲だ。消えてしまいそうに穏やかで、ときに強く高まり、一つ一つの音が存在感を示しながらも混ざりあう。里花は曲を水のように感じていた。どれだけ注意していても、音が曲という水となって彼女の心の中へと流れ、染みわたり、心を柔らかくしていく。たとえば心が、干あがり、ひび割れている大地のようであったとしても、曲の水は少しずつ、でも確実に浸透していき、気づけば肥えた土になっているのだ。
 生まれてからの六年間、里花は母親のピアノを聞いて育ったが、実際は生まれる前、母の腹の中でへその緒でつながっていた頃から聞いていたのだった。
 里花は鍵盤の蓋を開けた。えんじ色の布をめくると、規則正しく並んだ白と黒の鍵盤が現れた。いつだったか彼女が母に
「宝物はなに?」
 と尋ねると、母親は少し迷ってから
「やっぱりピアノかしら」
 と答えた。
「ピアノを弾いていると心が落ち着くのよ。弾きながら曲に感動して涙が出てくることもあるわ」
 里花は彼女の細い左腕を鍵盤よりも手前につき、体を支えながら右腕を伸ばして、右端の鍵盤を押した。高く、小さな、弱い音だった。同様にして左端の鍵盤も押す。こちらは低く、大きく、彼女の小さな心臓に響きわたった。それから体を元の姿勢に戻した。交互に手をついて体重をかけていたその場所は、熱で彼女の手の形がぼんやりと白く残り、端からじわじわと消えていったが、指紋はくっきりと残った。
 今度は右腕をまっすぐ伸ばし、ドの鍵盤の上に親指を乗せた。鍵盤が押されて低くなると、隣の鍵盤の側面の木の部分が覗く。親指でドを、人差し指でレを。順番に一本ずつ押していき、小指がソを押すと、また逆の順番で戻っていく。
 それは曲ではなく、音だった。彼女の十本の指からは旋律を導くことはできなかった。いくら彼女がピアノを弾く母を思い浮かべても、真似ることすらできず、母の姿はあまりにも遠かった。
 里花はえんじ色の布を鍵盤の上にかけ、蓋を閉じると、立ち上がった。それからピアノの隣に置いてあるソファーの方へ歩いた。ソファーの上に立ち、ピアノの蓋の上に両手をつき、腕で体を支え、足を宙に浮かせる。次に右足をピアノの上に乗せ、左足も持ち上げ、ピアノの上によじ登った。水色のワンピースにしわが寄る。そうやって、ピアノの上に寝転んだ。そこは広々としていた。彼女が乗ってもピアノはびくともせず、ずっしりと体を支えている。仰向けになると天井の小さな凹凸がはっきりと見え、体を左に向けると頬にひんやりとした感触が伝わる。真っ黒で艶々のピアノに映った自分の顔を里花は見つめた。
 蓋の下では何十本もの弦が張られている。指で鍵盤を押すと木の棒が弦に当たり、音が鳴る。そういった仕組みを、彼女は理解していた。しかし、たった十本の指によって黒い物体から、心の奥へと染みわたる曲が流れるということは彼女は理解できずにいた。
 あたりまえのように鍵盤の上で十本の指を踊らせ、曲を奏でる母親とは対照的に、里花にとってピアノは、大きくて冷たいものだった。しかし、その冷たさが里花には心地よかった。「ママの宝物」の上に乗り、指紋をつけ、緊張で熱くなった体を下からピアノが冷やしていく。
 ピアノの上から里花は部屋を見わたした。黒く艶のあるグランドピアノ、花柄のソファー、ガラスのテーブル、本棚の中のぼろぼろになった楽譜、それらと、母娘とを照らす天井の電球。
 この電球の下で、母と娘はどうなっていくのであろう。いつか娘は成長し、母親と対立するかもしれない。近づくことと離れることとを繰り返し、お互いを愛し、お互いを憎むことだろう。お互いに交わることがないことを嫌というほど知っていくだろう。
 母が弾き、娘が聞いた、ドビュッシーの「アラベスク」。アラベスクには唐草模様という意味がある。その美しい楽曲の中で、音はときに強く、ときに弱く、高く、低く、一つ一つの音が存在感を示しながらも、確認できないほどに絡みあいながら流れていた。協和音であった。
 母娘は、これから唐草模様のように絡みあいながら、お互いを主張し、しかしわかりあうことはなく、決して「美しい」とは言えぬ不協和音を奏でていくことであろう。
 今、その初めの一音が鳴ったのかもしれない。

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●教材作品は読んでおいてください。
●課題作(原稿用紙2枚《ワープロの場合、A4用紙をヨコにしてタテ書き印字》)を、講座日の5日前までに、担当講師宅へ郵送のこと。提出作品はコピーして、皆で読みあいます。(一般の方などで講師宅の住所がわからない場合は、事務局まで問い合わせてください)

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