昼・夜間部クラス、作品提出日を決める。2011/04/13 20:20

今日の水曜日は、昼2クラス、夜2クラスの組会がありました。
昼は本科・小説・日野クラス(10名、うち新入生6名)と専科・小説・高畠クラス(11名)、夜は本科・小説・飯塚クラス(15名、うち新入生5名)と専科・小説・青木クラス(13名)。
それぞれのクラスで、各人の作品提出日が決められました。

通信教育部の秋期第1回作品提出締切は、16日(土)です。今日は8名の方から作品が郵便や宅配便で届きました。
封筒おもてに大阪文学学校の住所と名称しか書かれていない方が数名いました。
“通教部11年春期第1回提出作品在中”と書いていただきたいのですが、それが長ったらしく感じられるのでしたら、せめて“通教部提出作品”とか“通教部第1回作品”と書いてください。
文校には日々郵便物がとても多いです。それらの仕分けをスムーズにおこなうために、よろしく頼みます。
心血をそそいで書き上げた原稿、それを入れる封筒も大事にしてください。

(小原)

今日の昼・夜間部クラスゼミ(組会)2011/04/14 20:59

昼間部2クラス、夜間部2クラスの組会がありました。
昼間部は、詩/エ・中塚クラス(17名、うち新入生7名)と研究科・小説・岡クラス(17名)。
夜間部は、詩/エ・松本クラス(14名、うち新入生3名)と専研究科・小説・平野クラス(16名)。

通信教育部の作品提出者は、11名。午前中に、文校の入っているビルの集合郵便受けに作品を入れていた大阪市在住の通教生もいました。

(小原)

夜間部のクラスゼミ(組会)のあとは飲み会。2011/04/15 21:11

きょうは昼間部2クラス、夜間部2クラスの組会がありました。
昼間部は、本科・小説・佐久間クラス(13名、うち新入生6名)と研究科・小説・奥野クラス(18名、うち再入学1人)。
夜間部は、本科・小説・小原クラス(10名、うち新入生4名)と専科・小説・尼子クラス(16名)。
【写真】は、組会をおえたあと文校近くでの尼子クラスの2次会模様。

通教部の作品提出者は18名。そのうち、宅急便速達2名、郵便速達4名、書留2名。
あしたが、いちおうの締切日です。 2週遅れまでは、担当チューターの
アドバイス批評は受けられます。

●きょう、昼間部と夜間部に1人ずつ入学者がありました。

(小原)

通教部11年春期第1回提出作品のいちおうの締切日。2011/04/16 20:03

きょう土曜日は正午から昼間部の組会がありました。
本科小説・岩代クラス(6名、うち新入生1名)と、専、研究科小説・津木林クラス(19名、うち専科入学1名)。

そして通信教育部はきょうが春期第1回提出作品の、いちおうの締切日。 郵便、宅配便、持参などで計29名の提出者がありました。
きょうまでに到着していないと、6/26(日)スクーリング合評会のテキストになる通教部作品集(『樹林』7月号)の掲載対象作品からははずれてしまいますが、締切2週おくれの4/28(土)までに届けば担当チューターからのアドバイス批評はもらえます。
それにスクーリングの前日と当日午前にはプレ・スクーリングがあり、希望すれば自作品を合評してもらうこともできます。
未提出の方、今からでも遅くはありません。あきらめないで、1日も早く作品を提出してください。(銅)

今日、3人の入学者がありました。2011/04/20 21:27

通教部に入学された宝塚市の40代女性の方の“入学のきっかけ”は、
「半世紀ほど生きてきて、一貫して文章を書くことが好きだった。何か書かねばならない思いに数年前からとらわれていたが、何も書けないのではとの不安も同時に湧き上がり、悶々としている。今年になって、書けなくても書かねばという思いが優ってきたので、思い切って入学してみることにした」とのことでした。

夜間部に入学された奈良県斑鳩町の20代男性は、
「今までの人間関係と違った出会いが欲しかったのと、自分自身の考えをまとめるために何か書いてみたいと思いました」とのこと。

同じく夜間部に入学された、つい10日ほど前仕事の関係で札幌から大阪に越してきた30代女性は、
一言「小説が書きたい」とのことでした。

夜間部に入られたお二人は、今夜の夜間部クラスを見学されて、その後申し込まれたのでした。

(小原)

たなかよしゆきチューターの新詩集紹介。2011/04/21 21:45

『夏の朝の愉しみは』
通教部のたなかよしゆきチューターが自身10冊目の、新詩集『夏の朝の愉しみは』を刊行されました。
ドット・ウィザード刊、1000円+税。
文校事務局では、900円で販売しています。

新詩集の“あとがき”に、次のような一節があります。
晴れの日は畑や山でやさいや鳥獣虫魚と遊んでもらい、雨の日は本を読み、手紙をかき、時にスーパー銭湯へ出かけ、タオルを頭に乗せてヘタな詩をひねっています。〈孤貧是生涯〉は良寛さんのスローガン。わたしはそこまで徹しきれませんが、質素に静かに暮らしたいと(もちろん、時々はにぎやかに!)希っています。

(小原)

作品未提出の通教生のみなさんへ。2011/04/22 18:54

今期1回目の作品をまだ提出していない通教生50名の方へ、今夜、激励のハガキを投函します。
以下のような文面です。
        *
 春の陽光もいちだんと盛んになってきましたが、お元気でしょうか。
 通教部の11年度春期第一回提出作品の締切は一応、4月16日(土)でした。しかしながら、貴方からはまだ作品が届いていません。
 スクーリングのテキストとなる通教部作品集(『樹林』7月号)の掲載対象からははずれますが、提出作品は二週おくれの4月30日(土)まで受け付け、担当講師からアドバイス批評(個別評)は得られます。「文校ニュース」作品評にも載ります。
 あきらめてはいけません。誰しも〝締切〟との闘いのなかで書いています。尻切れとんぼでも結構ですから、ともかく書いて一日も早く、事務局まで作品を届けてください。作品を提出することが、文学学校と緊密につながれる最善の方途です。その作品は希望するなら、プレ・スクーリングの合評俎上に載せることができます。
 なお、このハガキと提出作品が行き違いになる方もあるかと存じますが、ご了承ください。

春期・学生委員会が始動2011/04/25 22:26

今夜7時から、春期第1回学生委員会が開かれました。夜間・昼間・通教部の各クラスから、新入生もまじえて18名の出席者がありました。
委員長に野神有虹さん(夜・青木クラス)、副委員長に善積健司さん(夜・小原ク、《広報部》キャップ兼任)が選ばれました。
また、《樹林・在特部》キャップは河田隆さん(夜・松本ク)、《新聞部》キャップは佐藤真希さん(昼・津木林ク)、《イベント部》キャップは赤井琢磨さん(昼・岩代ク)、《会計》は山本晃士さん(同)が務めることになりました。
半年間に各部でやるべきことを話し合ったあと、文校の位置する上町台地を散策する5月22日(日)の“新入生歓迎・文学散歩”への参加を呼びかける大きなポスターをつくって各教室に貼り出しました。
そのあとは、“すかんぽ”へGo!

学生委員会は、まだまだ委員を募集中です。
学生委員会は、隔週月曜日の夜開かれています。
各クラスからいろんな人が集まってきています。
関心のある方は、気軽にのぞいてみてください。

(小原)

第13回小野十三郎賞の募集要項を発送(昨日・今日)2011/04/26 20:20

大阪文学学校の創設から37年間、校長を務めた小野十三郎さん(96年没)の多彩な詩業を記念し、全国の創造的な書き手たちを奨励していこうとしている小野賞ー―文校の運営母体である大阪文学協会が主催しています。
その第13回の募集要項を、大阪文学協会理事で小野賞事務局の中塚鞠子さん(昼間部チューター)、同じく理事の細見和之さんなどで、昨日から今日にかけて、全国の新聞社、雑誌社、図書館、各地詩人会、同人誌発行所、詩人たちに発送しました。総計617通にのぼりました。
「小野賞・募集要項」は、文学学校HPのトップページから入れます。

(小原)

夜・文章講座、第1回課題の例文。2011/04/27 22:13

夜・文章講座
ストーリーテリングを考えるⅢ――物語の話型論
講師 葉山郁生(作家)

第1回 5月16日(月)午後6時30分~

●水の女の話(神話・昔話・物語を貫く話型=モチーフの一つ)
●教材=津島佑子の短編「水府」「黙市」
《持っていない方のために、作品コピーを、事務局に用意してあります。昼・夜間部生は、クラスゼミのあと取りに来てください。通教部生は、事務局まで連絡いただければ、郵送します》

    *    *

●課題=夢(の話)を描くエッセイ・小説の一節、または共感覚のイメージ表現

 前の期も夢(の話)を描くエッセイ、または小説の一節から始めました。その回の提出作品から二人の文章を文例としてあげます。前の方は、夢と現実を重ねた作品で、後ろの方は、何回か見た夢をまとめ書きしたものです。これらを参考に自分で自由に書いてみてください。

  一心寺へ    三村 晃

 にぶい地鳴りがした。振り返るにも首が回らない。もがきながら漸く体を回し、地鳴りのした方向を見た。ああ、大惨事が起こっている。人を呼ぶが、声が出ない。生唾を飲んで叫んだ。自分の大声で目が覚めた。もう勘弁してくれよと半睡していると、昨夜の酒が残っていて、暫くすると睡気がさした。もう夢は見たくない、絶対に見たくないと心に決め、目をつむる。見たくない夢の続きを、見たくないと強く意識すればするほど、また見た。土砂に埋没していた男が救出され、ブルーシートを被せていた。つと、突風か、誰かめくったのか、赤黒く腫れ上がった顔が現れた。死んでいる。目をそむけようとすると、死人が「助けてくれ」とか細い声をだし、半眼を開いて私の顔をみて、手を伸ばしてきた。たまらず「助けてくれ」と叫ぶが、声がでない。喉を掻きむしるようにして叫んだ声で目が覚めた。
 葬式をすませ、かれこれ半年になる。仕事の都合で会葬できなかったが、いまごろになってなぜ夢に……と思うと、不眠におちいり、暁方まで眠れなかった。朝方、微睡むと、作業服姿の男が現れ、NPOの者五、六人で、ささやかな葬儀をすませ、一心寺に納骨したと言う。つきましては死者の申し出で、龍雄氏にお参りして下さいと、ことづかっていると伝えた。私の困った表情をみて、行けないのであれば、その旨を、死者に伝えるから一心寺へ一緒に来てくださいと言い、目深にかぶったヘルメットとサングラスをはずし、どうぞと、エスコートするように寄り添った。顔を見ると髑髏顔であった。悲鳴をあげたが声にならず、手を振り回したら唐紙障子を打ち、その音で目が覚めた。

 龍雄は下水工事の現場監督をしていた。工事手順に基づき、土留(どど)め支保工(しほこう)などの安全管理に抜かりのないように留意し、作業していた。休憩時間に、全員地上に上がり、飲物を飲みながら談笑していると、土砂崩壊が起きた。簡易矢板であるが、法規にのっとり、完全な土留めをしていたので信じられなかった。ガードマンが、土砂崩壊の音に混じって、悲鳴を聞いたと証言したので、点呼をとると一人足りなかった。土砂を掘り返して捜し、夕方、探し当てた。よっさんと呼ばれる日雇いであった。一心寺へ……参れば……悪夢から開放されるであろうか。


  まっさら    渡利 真

 小学生のころはよく夢を見た。四畳半で祖母とふたりだけで寝ていた。夜中に恐ろしい夢を見て目が覚め「おばあちゃん」と小さな声で呼んでみる。起きてくれなくてもいい。いえむしろ聞こえないように。しかし祖母は必ず「どうしたの」と反応した。なぜ私が目を覚ましたことが分かるのだろう、不思議だがそれだけで安心した。どんな夢を見たのと聞かれて、一番年長の祖母がいなくなる夢とはどうしても言えないこともあった。
 仕事場が遠い頃は遅刻する夢を何度か見た。いくらあせっても職場にたどり着かない。絶体絶命の中で目が覚めるのだった。だいたいおいしいものは食べようとすると目覚める。憧れの人とは触れ合う瞬間目覚める。残念ながら味や触感は意識に残らない。井戸に落ちる夢を見たときは膝を立てて寝ていて、落ちる時膝をストンと伸ばそうとする。落ちまい落とすまい、ああ落ちていく、という瞬間に目覚める。
 先日かつてない夢を見た。自分の車を運転していて、広く延ばした紙の上みたいなところで何気なく降りてみる。すると車は私を降ろしたままひとりでに進んで行く。もちろん誰も乗らないまま。紙型のような人が行き来する信号もすり抜けいくつもの街をくぐり抜け海へ出た。信号のすぐ向こうが海だったかもしれない。紺色の軽自動車は海の上を唄うように進んでいく。ひとつひとつ段ボール紙に書いた波がウヨウヨとうごめく。沈みもせず段ボールの隙間をジグザグしながら車はあまりに遠くへ行ってしまい、地団太踏む私を尻目にとうとう見えなくなった。そこには私の生きてきたすべてが積んである。してみると残った私はいったい何者なのだ。
 夢は無意識の現れ。数十年生きてきたすべてを失うことが怖いのだろう。全部チャラにした裸の自分はどう生きていけばいいのか。積んであった、記録・本・ものに強く執着する。と思って気がついた。あの車はゴミをすべて運んで行ってくれたのかもしれない。

    *

 共(通)感覚のイメージ表現について、少し解説しておきます。
 視覚と聴覚など、二つ以上の五感が移行して同時体験することを共通感覚と言い、区別しないで全感覚的に働くものを共感覚と言います。ここでは両者を区別せず、一種の比喩表現として理解し、イメージ表現してください。そうして、二つ以上の感覚がとらえるリアルなものを、何らかの形あるものに大胆に置きかえてください。音楽を聴いていて、過去のいくつかの情景がフラッシュバックしたりします。共通感覚でなくとも、素材自由で同一対象を五感の二つ以上で区別して描いても結構です。
 文例の最初は、私が梶井基次郎の「闇の絵巻」の文章について、解説したもの。次が同じ作家の「器楽的幻覚」と「愛撫」の一節で、視覚と聴覚や触覚の「共通感覚」が描かれています。その後ろに「共感覚」について解説した文章も掲示しておきます。


 光と闇は単純に対比されるのではなく、街道の孤独な「電燈の光が闇の中の私の着物を染めている」暗い夜の世界で、「瀬の色は闇の中でも白い」。
 闇の中では見ること、視覚が不透明で、見ることはどうしても知覚と一体で、意味づけの世界ですから、それがよく働かないと、他の五感が鋭く動きます。物と名の一義的結びつきが崩壊して、物と名の始源に遡るというか、その新しい結びつき、新しい名づけ方が求められてくることになります。この小説では、夜の街道ばたで石を投げると、崖を落ちていく音がして、石が樹木にあたって、枝が揺れ、「芳烈な柚の匂い」が立ちのぼってきます。石の音と音が消えた後の沈黙の空間の闇に、柚の木の匂いが溶けています。樹木たちの息づかい、姿の見えない小動物たちの生命、梶井の呼吸や体感までが、夜の闇の存在の世界を充たしています。さらに闇の道をずっと進んで、突然、その先、渓の上流の方に電燈の光が見えるとき、「その光がなんとなしに恐怖を呼び起した。バアーンとシンバルを叩いたような感じである」。ここには視覚と嗅覚、視覚と聴覚の相互浸透があり、さらに一般化すると五感全体の融合があって、その時、エロス的と言っていい内部の生命感は高揚します。エロス的というのは、この体内感覚の融合であると同時に、これに裏打ちされた主体の触感以下が、自分の内部と外界との融合をももたらすだろうからです。


  器楽的幻覚

 ある秋仏蘭西(フランス)から来た年若い洋琴家(ピアニスト)がその国の伝統的な技巧で豊富な数の楽曲を冬にかけて演奏して行ったことがあった。(…)
 その終りに近いあるアーベント(Abend ドイツ語。ある目的で開く夜の催し)のことだった。その日私はいつもにない落ちつきと頭の澄明を自覚しながら会場へはいった。そして第一部の長いソナタを一小節も聴き落すまいとしながら聴き続けて行った。それが終ったとき、私は自分をそのソナタの全感情のなかに没入させることが出来たことを感じた。私はその夜床へはいってからの不眠や、不眠のなかで今の幸福に倍する苦痛をうけなければならないことを予感したが、その時私の陥っていた深い感動にはそれは何の響きも与えなかった。
 休憩の時間が来たとき私は離れた席にいる友達に目?(めくば)せをして人びとの肩の間を屋外に出た。その時間私とその友達とは音楽に何の批評をするでもなく黙り合って煙草を吸うのだったが、いつの間にか私達の間できまりになってしまった各々の孤独ということも、その晩そのときにとっては非常に似つかわしかった。そうして黙って気を鎮(しず)めていると私は自分を捕えている強い感動が一種無感動に似た気持を伴って来ていることを感じた。煙草を出す。口にくわえる。そして静かにそれを吹かすのが、いかにも「何の変ったこともない」感じなのであった。――燈火を赤く反映している夜空も、そのなかにときどき写る青いスパークも。……しかしどこかからきこえて来た軽はずみな口笛がいまのソナタに何回も繰返されるモティイフを吹いているのをきいたとき、私の心が鋭い嫌悪にかわるのを、私は見た。
 休憩の時間を残しながら席に帰った私は、すいた会場のなかに残っている女の人の顔などをぼんやり見たりしながら、心がやっと少しずつ寛解して来たのを覚えていた。しかしやがてベルが鳴り、人びとが席に帰って、元のところへもとの頭が並んでしまうと、それも私にはわからなくなってしまうのだった。私の頭はなにか凍ったようで、はじまろうとしている次の曲目をへんに重苦しく感じていた。こんどは主に近代や現代の短い仏蘭西(フランス)の作品が次つぎに弾かれて行った。
 演奏者の白い十本の指があるときは泡を噛んで進んでゆく波頭のように、あるときは戯(じゃ)れ合っている家畜のように鍵盤に挑みかかっていた。それがときどき演奏者の意志からも鳴り響いている音楽からも遊離して動いているように感じられた。そうかと思うと私の耳は不意に音楽を離れて、息を凝(こ)らして聴き入っている会場の空気に触れたりした。よくあることではじめは気にならなかったが、プログラムが終りに近づいてゆくにつれてそれはだんだん顕著になって来た。明らかに今夜は変だと私は思った。私は疲れていたのだろうか? そうではなかった。心は緊張し過ぎるほど緊張していた。一つの曲目が終って皆が拍手をするとき私は癖で大抵の場合じっとしているのだったが、この夜は殊に強いられたように凝然(ぎょうぜん)としていた。するとどよめきに沸き返りまたすーっと収まってゆく場内の推移が、なにか一つの長い音楽のなかで起ることのように私の心に写りはじめた。
 読者は幼時こんな悪戯(いたずら)をしたことはないか。それは人びとの喧噪(けんそう)のなかに囲まれているとき、両方の耳に指で栓をしてそれを開けたり閉じたりするのである。するとゴウッ――ゴウッ――という喧噪の断続とともに人びとの顔がみな無意味に見えてゆく。人びとは誰もそんなことを知らず、またそんななかに陥(おちい)っている自分に気がつかない。――ちょうどそれに似た孤独感がついに突然の烈しさで私を捕えた。それは演奏者の右手が高いピッチのピアニッシモに細かく触れているときだった。人びとは一斉に息を殺してその微妙な音に絶え入っていた。ふとその完全な窒息(ちっそく)に眼覚めたとき、愕然(がくぜん)と私はしたのだ。
「なんという不思議だろうこの石化は? 今なら、あの白い手がたとえあの上で殺人を演じても、誰一人叫び出そうとはしないだろう」
 私は寸時まえの拍手とざわめきをあたかも夢のように思い浮べた。それは私の耳にも目にもまだはっきり残っていた。あんなにざわめいていた人びとが今のこの静けさ――私にはそれが不思議な不思議なことに思えた。そして人びとは誰一人それを疑おうともせずひたむきに音楽を追っている。云いようもないはかなさが私の胸にしみて来た。私は涯もない孤独を思い浮べていた。音楽会――音楽会を包んでいる大きな都会――世界。……小曲は終った。木枯のような音が一しきり過ぎて行った。そのあとはまたもとの静けさのなかで音楽が鳴り響いて行った。もはやすべてが私には無意味だった。幾たびとなく人びとがわっわつとなってはまたすーっとなって行ったことが何を意味していたのか夢のようだった。


  愛撫

 猫の耳というものはまことに可笑(おか)しなものである。薄べったくて、冷たくて、竹の子の皮のように、表には絨毛(じゅうもう)が生えていて、裏はピカピカしている。硬(かた)いような、柔らかいような、なんともいえない一種特別の物質である。私は子供のときから、猫の耳というと、一度「切符切り」でパチンとやって見たくて堪(たま)らなかった。これは残酷な空想だろうか?
 否。全く猫の耳の持っている一種不可思議な示唆力によるのである。私は、家へ来たある謹厳な客が、膝へあがって来た仔猫の耳を、話をしながら、しきりに抓(つね)っていた光景を忘れることが出来ない。
 このような疑惑は思いの外に執念深いものである。「切符切り」でパチンとやるというような、児戯(じぎ)に類した空想も、思い切って行為に移さない限り、われわれのアンニュイ(ennui フランス語。退屈、倦怠の意)のなかに、外観上の年齢を遥かにながく生き延びる。とっくに分別の出来た大人が、今もなお熱心に――厚紙でサンドウィッチのように挟んだうえから一と思いに切って見たら? ――こんなことを考えているのである! ところが、最近、ふとしたことから、この空想の致命的な誤算が曝露してしまった。
 元来、猫は兎のように耳で吊り下げられても、そう痛がらない。引張るということに対しては、猫の耳は奇妙な構造を持っている。というのは、一度引張られて破れたような痕跡が、どの猫の耳にもあるのである。その破れた箇所には、また巧妙な補片(つぎ)が当っていて、全くそれは、創造説を信じる人にとっても進化論を信じる人にとっても、不可思議な、滑稽な耳たるを失わない。そしてその補片(つぎ)が、耳を引張られるときの緩(ゆる)めになるにちがいないのである。そんな訳で、耳を引張られることに関しては、猫は至って平気だ。それでは、圧迫に対してはどうかというと、これも指でつまむくらいでは、いくら強くしても痛がらない。さきほどの客のように抓(つね)って見たところで、極く稀にしか悲鳴を発しないのである。こんなところから、猫の耳は不死身のような疑いを受け、ひいては「切符切り」の危険にも曝(さら)されるのであるが、ある日、私は猫と遊んでいる最中に、とうとうその耳を噛んでしまったのである。これが私の発見だったのである。噛まれるや否や、その下らない奴は、直ちに悲鳴をあげた。私の古い空想はその場で壊れてしまった。猫は耳を噛まれるのが一番痛いのである。悲鳴は最も微かなところからはじまる。だんだん強くするほど、だんだん強く鳴く。Crescendo(イタリア語。クレッシェンド。音楽用語でだんだん強くの意)のうまく出る――なんだか木管楽器のような気がする。
 私のながらくの空想は、かくの如くにして消えてしまった。しかしこういうことにはきりがないと見える。この頃、私はまた別なことを空想しはじめている。


 私たちは、「見る」という動詞を「眼によって感覚したものが脳の中で視覚を引き起こす」という意昧で使い、「聞く」という動詞を「耳によって感覚したものが脳の中で聴覚を引き起こす」という意味で使う。それが一般的であり、私も含めて、この動詞の使い方をおかしいと思う人はいないだろう。
 それゆえ、たとえば「あの桜からは、まるで美しい音楽が聞こえるようだ」という、視覚から聴覚へ移行する言語表現を用いる人がいたとき、周りの人々は、「うまい言い方だなあ」などと感心する。私から見ても、このやり取りには何ら不自然なところはないし、これは私も日常的に用いている言語表現である。
 こういった別々の感覚様相を結び付けた表現に、「女性の黄色い声」(視覚→聴覚)、「まろやかな味」(触覚→味覚)、「真っ赤な嘘」(視覚→聴覚)などがあり、これをおかしな言い方だと思う人は、まずいないだろう。こういった言語表現は、「共感覚的比喩」と名付けられている。
 しかし、たとえば、道端で人に踏まれてつぶれている雑草を見て、「あれは実にいい絵になる光景だなあ」などと立ち止まる子どもがいたとすれば、私たちは思わずぎょっとするか、わざと発した冗談だと思うだろう。先の桜の例と同様、「桜や雑草が反射する可視光を眼で見て、脳の中で視覚が生じている」ことに変わりはないのに、なぜ周りの人々の反応に大差がつくのだろうか。
 この根底にあるのは、まさしく「私にとって綺麗なものは、あなたにとっても綺麗である。私にとって無価値のものはあなたにとっても無価値のものである」という「思い込み」だと言える。
「あの雑草はいい絵になる」と言った子どもが、雑草に乗っている小さな虫まで含めてそう言ったのだということに、私たちはすぐには気付かないものだと思う。雑草に意識が及んでも、虫には意識が及ばない。つまりそれは、虫が「見えていない」のと同じことだとさえ言えそうだ。
 それと同様に、「あの桜の木を西側から見た姿は盤渉調(ばんしきちょう)である」、「あの人が右を向いた姿は、紅色と香色(こういろ)の曲線が施された柔らかい円柱の姿である」、「このお菓子の匂いはト長調の薄い黄色で、食べてみたら本当にト長調の薄い黄色の味だった」などと言う人がいたら、いよいよ社会的常識から見ておかしな言語表現をする人だと思われるかもしれない。
 しかし実は、こういった感覚を、比喩や想像・幻覚の世界ではなく、純粋に感覚の世界、「見る」や「触る」といった感覚と同じ土俵上において、感覚している人がいる。
 こういった、五感がそれぞれ分別化されていない、全感覚的な感覚のあり方は、「共感覚」と呼ばれている。(岩崎純一『音に色が見える世界』)

    *    *

●教材作品は読んでおいてください。
●課題作(原稿用紙2枚《ワープロの場合、A4用紙をヨコにしてタテ書き印字》)を、講座日の3日前までに、担当講師宅へ郵送のこと。提出作品はコピーして、皆で読みあいます。(一般の方などで講師宅の住所がわからない場合は、事務局まで問い合わせてください)