夜・文章講座、第3回課題の例文。2011/02/12 22:20

夜・文章講座――ストーリーテリングを考えるⅡ/講師 葉山郁生(作家)
第3回 2月21日(月)午後6時30分~
●昔話(説教節)と物語
●教材=後藤明生「しんとく問答」(講談社、絶版によりプリント配布)

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●課題=一回目の課題の文章に、和洋の何か民話ひとつ、ふたつを比喩、又は寓話として重ねて下さい。

 今回の課題文章の例文として、次の二つの文章を示します。一つ目は柳田国男『遠野物語』の一話「マヨイガ」で、二つ目は井上ひさし『新釈遠野物語』冒頭の一話「鍋の中」の一節を抜粋したものです。
 後半に引用したのは、休学中で山間の病院に働く、大学生の主人公「私」が聞き手となり、「犬伏老人」が語る怪異譚の一節です。老人自身が雪の中で迷い、「マヨイガ」のような異世界に入りこむところです。「マヨイガ」という民話(説話)や神話を現代のストーリーにのせた文章例です。


 小国の三浦某というは村一の金持なり。今より二三代前の主人、まだ家は貧しくして、妻は少しく魯鈍(ろどん)なりき。この妻ある日門(かど)の前を流るる小さき川に沿いて蕗(ふき)を採りに入りしに、よき物少なければ次第に谷奥深く登りたり。さてふと見れば立派なる黒き門の家あり。訝(いぶか)しけれど門の中に入りて見るに、大なる庭にて紅白の花一面に咲き鶏(にわとり)多く遊べり。その庭を裏の方へ廻れば、牛小屋ありて牛多くおり、馬舎(うまや)ありて馬多くおれども、いっこうに人はおらず。ついに玄関より上りたるに、その次の間には朱と黒との膳椀(ぜんわん)をあまた取出したり。奥の坐敷には火鉢ありて鉄瓶の湯のたぎれるを見たり。されどもついに人影はなければ、もしや山男の家ではないかと急に恐ろしくなり、駆け出して家に帰りたり。この事を人に語れども実(まこと)と思う者もなかりしが、またある日わが家のカドに出でて物を洗いてありしに、川上より赤き椀一つ流れて来たり。あまり美しければ拾い上げたれど、これを食器に用いたらば汚しと人に叱られんかと思い、ケセネギツの中に置きてケセネを量る器となしたり。しかるにこの器にて量り始めてより、いつまで経ちてもケセネ尽きず。家の者もこれを怪しみて女に問いたるとき、始めて川より拾い上げし由をば語りぬ。この家はこれより幸福に向い、ついに今の三浦家と成れり。遠野にては山中の不思議なる家をマヨイガという。マヨイガに行き当たる者は、必ずその家の内の什器(じゅうき)家畜何にてもあれ持ち出でて来べきものなり。その人に授けんがためにかかる家をば見するなり。女が無慾にて何物をも盗み来ざりしがゆえに、この椀自ら流れて来たりしなるべしといえり。
  ○このカドは門にはあらず。川戸にて門前を流るる川の岸に水を汲(く)み物を洗うため家ごとに設けたる所なり。
  ○ケセネは米稗(ひえ)その他の穀物をいう。キツはその穀物を容るる箱なり。大小種々のキツあり。


『……道に迷ったかな』
 呟いて、思わずぞっとした。胃の腑の中を冷たい風が通り抜けて行った。立ち止まって考え込んだが、動くのをやめるとますます不安になる一方だ。わたしはあてのないまま、はあはあと肩で呼吸(いき)をしながら思いついた方角へ進んでいった。役にも立たぬ提灯は捨てた。そして外套の襟を立て、雪の中を、三十分はたっぷり前進した。
 だがね、雪の中での前進ぐらいあてにならないものはないな。自分は真ッ直に歩いているつもりでも、人間には右か左かわずかながらそれる習癖があって、大きな円を描いてまた元の所へ戻ってくるものらしい。そのときのわたしもそうだった。三十分も歩いて、ひょいと気がつくと、白一色の雪の中になにやら黒っぽいものが見えたから、気になって雪を払って持ち上げてみると、それは怖しいことに、さっき捨てた提灯なのだよ。
 さすがに疲れが出て、どっと気落ちがし、雪の中に坐り込んだ。
(もうだめだ。おれはここで凍え死するのかも知れない……)
 そんなことを考えながら雪を掻いて口に詰めこみ、ふと右の方に目をやって、わたしは喉の奥であッといい思わず雪を吐きだした。
 というのは、そんなに遠くないところに、ぽつんとひとつ灯りが見えていたからなのさ。
(先刻(さっき)は見えなかったはずだが、それにしても、これでどうやら命は助かったぞ)
 わたしは雪を膝で漕ぎながら、その灯の方へ近づいて行った。
 雪の中に一軒の家が建っていた。左半分は土間で暗い。右半分は住居になっていて、障子がぴしゃりと閉め切ってある。ランプの灯りがその障子を温い橙(だいだい)色に染めていた。形ばかりの狭い庭を横切って障子の方へ近づくと、中から、
『だれ』
 と若い女の声がした。
『雪の夜道に迷って難渋しているものです。土間の隅ででも結構です。今夜一晩、休ませていただけないでしょうか』
 必死の思いをこめてそう言うと、からりと障子が開いた。
 器量のいい女だったねえ。年の頃は二十六、七。痩せているが、どことなく垢抜けした女だった。
『……それはお困りでしょうね』
 女は縁側に膝をついてわたしに軽く会釈した。障子の隙間から中に目を走らせると中は板敷、真ん中に囲炉裏、囲炉裏のまわりに薄縁(うすべり)が敷いてある。囲炉裏には火が燃えていた。その火の上で大鍋がぐつぐつ煮え立っている。
 ……
 やがて、女が裏へ立った。なかなか戻ってこない。半日間、胃の中に入ったのは、一合ばかりの酒と、わずかな酒の肴。わたしは猛烈に腹が空いていた。
 そこで、わたしは縁側へかけ寄って靴を脱ぎ捨て、囲炉裏ばたへかがみこんだ。鍋の中で煮えているものが何かはわからなかったが、一口、くすねてやろうと思ったのだ。だが蓋を取って、鍋の中を覗いたわたしは、その中で煮えていたものを見てその場に立竦(たちすく)んでしまった。鍋の中では、赤ン坊が紫色に煮えていた。
『びっくりなさったでしょう?』
 いつの間に戻ってきたのか、土間に女が立っていた。手には鉈(なた)をぶら下げている。
『か、か、勘弁してください。悪気があって鍋の中を覗いたのではないのです。た、ただ、腹が空いていたので……』
 女はゆっくりと鉈を振り上げた。
『見逃してください。いますぐここから出て行きます。いま見たことをだれにも喋りません』
 女は鉈を振りおろした。一本の太い薪が土間で二つになった。それから女はわたしに向ってにっこり笑った。
『それは人間の赤ン坊じゃありませんよ。猿です』

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●教材作品は読んでおいてください。
●課題作(原稿用紙2枚《ワープロの場合、A4用紙をヨコにしてタテ書き印字》)を、講座日の3日前までに、担当講師宅へ郵送のこと。提出作品はコピーして、皆で読みあいます。(一般の方などで講師宅の住所がわからない場合は、事務局まで問い合わせてください)

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