長谷川龍生校長が生みの親(?!)『納棺夫日記』2009/03/27 22:22

いま、文校への行き帰りの電車の中では、富山在住の青木新門さんの『納棺夫日記』(文春文庫)を読んでいる。アカデミー賞を受賞した映画「おくりびと」の原点として注目され、本屋に平積みされている本である。著者は日々の糧を得るために、湯灌(ゆかん)・納棺の仕事を選んだのだが、親族や妻など周囲の人間たちからの、その仕事ゆえの蔑まれかたはすさまじい。そんななかで著者は、生と死の問題の根源に迫ってゆく……。じつはこの本については、3月8日の通教部スクーリングのとき、はるばる福島県から駆けつけてこられていた通教生から長谷川校長のことも出てきているよ、と教えられたのだった。そういえば、校長からは飲み会の場で何度か青木新門さんのことは聞かされていた。
165ページに、校長のことは出てくる。以下、12行にわたって引用。

作家になろうと思って書いたわけでもないし、本を出したわけでもなかった。では何故書こうと思ったのかと問われても、自分でもはっきりしない。ひょんなことから、いつの間にか書き始めていたのである。
それは五年前のことであった。
五年前の昭和六十二年十一月に、私が畏敬する詩人の長谷川龍生氏に出会ったことに起因する。この流浪の詩人と出会っていなかったら、『納棺夫日記』は生まれていなかったかもしれない。
あの日、私と二人で富山市の喫茶店でコーヒーを飲んでいた時、彼は急に思い立ったように原稿用紙を取り出し、何かを書き始めた。そして二時間ほどで書き上げたその原稿を、ファックスで雑誌社へ送ってくれという。うっかり締切りを忘れていたのだと、氏は笑った。
私は、会社のファックスでその原稿を送りその内容を読んだ時、強い衝撃を受けた。

続きは、じかに本に当たってもらいたいが、上の引用だけからでも、『納棺夫日記』の生みの親の一人に、わが大阪文学学校の長谷川校長も列せられるといえるだろう。   (小原)