夜・文章講座、第一回課題の例文。2010/04/24 15:12

夜・文章講座――ストーリーテリングを考えるⅠ/講師 葉山郁生(作家)
第一回 5月17日(月)午後6時30分~
●内容=自己の二重化、他者との分身構造
●教材=木辺弘児「月の踏み跡」(編集工房ノア『沖見』収録)
※教材のコピーを文校事務局に用意していますので、クラスゼミの時などに手に入れて下さい。送付を希望の人は郵便代をご負担下さい。

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●課題=好きな絵、または音楽(歌詞のないもの)を言葉で描くエッセイや小説の一節(その写生と情感・想念)

 第一回目の課題実例、前の文章は、東山魁夷の「残照」について美術評論家が書いた解説文です(絵は国立美術館の所蔵作品紹介ページで見ることができます。http://search.artmuseums.go.jp/records.php?sakuhin=2116)。後ろの文章はシューマンの音楽について、毎日新聞に専門編集委員が書いたものです。
 どちらも専門家の文章ですが、皆さんは第一回目の課題どおり、自由に二、三枚で書いて下さい。ちなみに一期前の文章講座の第一回課題は、視覚以外の五感でエッセイ、または小説の一部を書くというものでした。

○河北倫明「残照について」(一部)
 日本の風土と自分の資質に即した素直なところに出てきたのが、戦後の魁夷なのであろう。この荷をおろして、本来の自分に立ちかえった作者の姿を、われわれは「残照」の中にすがすがしく見ることができる。
 この絵は、千葉県鹿野山から見た九十九谷の写生が基になっているそうであるが、そのときのことを、作者はかつて次のように述べたことがある。
「その時分はバスも通っていなくて、佐貫駅から米を背負って山へ登り、頂上の神野寺に泊めて貰って写生をしました。九十九谷は小さな山々の重畳する風景で、冬枯れの山肌は夕方の薄れてゆく光の中に捉え難い色をしていました。初めは手のつけようのないものに見えましたが誰も来ない静かな山頂で独りじっと眺めていると、以前歩き廻った甲信の嶺や峠の記憶がよみがえってきて、眼の前の現実の姿よりはもっと雄大な情景が浮んで来ました。そんなイメージと現実が重なってこの作品になったのです」
 夕方のうすれていく光の中に捉えがたい色をした山なみの遠望、はるかに淡紅色に染っている連山の静けさ、まことにこの絵は、作者の一転機を示す美しい作品といってよい。しみじみとした情懐、すなおで清純な観照、作者の内にひそむものと、自然の形象とが、何のわざとらしさもなく溶けあっている。自然の陰翳、自然の微妙さが、作者の心の陰翳、心の微妙さと重なって響いてくる。今の抽象風絵画になれた人の中には、この絵を平凡な自然主義の絵と見まちがえる人があるかも知れないが、それは当らない。この絵を支えているものは写真のような自然美でなく、むしろ作者の流露する詩心である。それは深く自由な感動であり、陰影ゆたかなヒューマンな叙情なのだ。その感動と叙情が、静かに、重厚に、そしてすなおに山景となって表われているのである。
 作者は、この絵によって、自分の画生活に新しい道をつけたといえるかもしれない。多くの苦しみや悲しみの遍歴のあとに、ひとり静かに夕暮れの山頂に立って、作者はおそらくふかぶかと蘇生の大気を吸いこんだことであろう。若いときからの文学的な情操も、ヨーロッパでの教養も、展覧会で押しもまれた技術も、それまでの経歴の何もかもが、このときこころよく溶けていって、素直な東山魁夷が再出発したのだろう。その感じはこの絵を見るわれわれにも、静かに、そしてまた清らかに伝わってくる、この絵が今日の東山芸術の出発点になっていると私が考えるのはそのためである。

○梅津時比古「シューマン・ト短調交響曲」
 若書きの未熟な詩や曲から、ときに春を感じる。人生の季節を重ね合わせるからだろうか。
 22歳のシューマンが初めて交響曲に取り組んだ作品7。単に「ト短調交響曲」と呼ばれているのは、苦闘を重ねて書き直し続けたものの、2楽章までで未完に終わったからである。
 冒頭、弦や木管が低音から高音に駆け上って金管を加え、空気がゆらめく。その数小節のト短調の短い流れは、そう、春が来た瞬間の響きのよう。余韻が反復して、体の中を突き動かす。直後にオーボエ・ソロがつぶやくように寂しく入る。春の胎動が歓喜というよりは暗くうずくもの、あるいは春が明るいのに自分がそれに乗り切れないことを表しているのだろうか。序奏の一瞬の音に、躍動と鬱屈の、なんという葛藤が表されていることだろう。
 アレグロの主題と展開部を経て、位置づけを失ったかのように不意に序奏が戻ってくる。形式の革新なのか、迷いなのか。交響曲を書くことが世界観の表出になると信じながら、真摯に対峙すればするほど、世界からはねのけられ、自らの位置をつかめなくなる。おそらく序奏の扱いに困ってのことだろう、第1楽章には、序奏のあるものや無いものなど三つの版ができてしまった。
 シューマンを深く研究する音楽学者の前田昭雄の指揮で、東京芸大チェンバーオーケストラが「ト短調交響曲」や、その8年後に完成された「交響曲第1番『春』」などを取り上げた(2月20日、同大奏楽堂)。
 輝かしい「交響曲第1番『春』」は、ボェットガーの詩「汝、雲の霊」に触発されて作曲されたと言われる。確かに、詩の最後の2行〈おお変えよ、おんみの巡りを変えよ/谷間には、春が萌え上がる!〉の詩句がそのまま音になったように、第1楽章がはじける。その経緯について前田や教授陣の指導が行き渡っていたのだろう。言葉としてフレーズを体現する前田の指揮に学生たちはよくついていき、きめこまやかにシューマンの感性を表す演奏になっていた。
 詩の前半は〈汝、雲の霊、曇って重く/大地と海を脅かし流れる/お前の灰色のヴェールはたちまちに/空の明るい瞳を覆う〉と、雲の垂れ込めた情景が描かれ、萌え上がる春とは対照的な暗い言葉が続く。詩の中のその暗と明は、シューマンにとっての「ト短調交響曲」と「交響曲第1番『春』」との対照にも似ている。
 はずむような「交響曲第1番『春』」よりも、鬱々とした「ト短調交響曲」に、より心ひかれる。
 春は、語りだすことのできない暗い響きも秘めている。

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●教材作品は読んでおいてください。
●課題作(原稿用紙2枚《ワープロの場合、A4用紙をヨコにしてタテ書き印字》)を、講座日の3日前までに、担当講師宅へ郵送のこと。提出作品はコピーして、皆で読みあいます。(一般の方などで講師宅の住所がわからない場合は、事務局まで問い合わせてください)